Bliss Life by Dr.Rika

La Luce代表 予防医学医師 Dr.Rika 食、生活、瞑想を通じて、心身健康、魂が輝く人生に

2019年12月

こんにちは。
2019年もあと3日で終わり。

皆様にとって
2019年は
どのような年でしたか?

Dr.Rikaは、

今までの持病 一気に噴出で

副鼻腔炎、喘息、花粉症、アトピー性皮膚炎、卵アレルギー
そして、ふらついて顔面から転倒


それをわずか1週間の中で毎日。。。。


惣菜屋の焼きサンマを食べたら
喉に金属の針が刺さったり

超低体温になったり

体調が優れないながらも
ホメオパシーエドガー・ケイシー療法などで
体調管理をして

山に登ったり、
念願のインド🇮🇳 ネパール🇳🇵を旅して
極楽を体験したのちに 
愛犬Kellyを胸の中で天へ還すなど
様々な体験を通して
色々な感情やカルマと向き合い
浄化が進んだと感じる年でした。

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2年前から
Donationをしようと
髪の毛を伸ばして参りましたが
長年お世話になっている
Lift Up Cut 砂山の砂山國男さんに
「穢れが溜まった神の氣を溜め込んで伸ばしたり
寄付するよりも、まずは自分の氣を整えて
さっぱり 綺麗にした方が、良い波動(周波数)を放ち
よっぽど良い影響を与える!」

と諭され

前髪パッツン
シャギーバッチリに
切られました〜。

Donationはあきらめて
スッキリ 軽やかに 清らかに
楽しく日々を過ごします。

ちなみに正真正銘の自毛です。
白髪が無く(老眼も無く)
毛染めもパーマもしていません。

そして
Facebookではお伝えしておりますが
しっかり 氣を整えるために
明日からしばらくネット断食をします。

熊さんの冬眠の如く
SNS メールなども明日以降1/6まで
見たり発信しないつもりですので
よろしくお願いします。

シリコンバレーでは、
インターネットだけでなく
テレビやパーティーなど
ドーパミンの分泌を高めることを控える
ドーパミン断食って言うのですって。

熊さんのような仙人で
大人氣ブロガーの森井啓二先生が
ひかたまで書かれているので
ご紹介します。 

ドーパミン・ファスティング「ドーパミン断食」
ということが
米国シリコンバレーを中心に流行り始めているようです。

ddtheguardian.com



ドーパミンとは、
中枢神経系に存在する神経伝達物質で
アドレナリン・ノルアドレナリンの前駆体です。
快感や興奮したときに関与するもの。



「ドーパミン断食」とは
ドーパミンを出すような刺激的なものを断つこと。

現代社会には刺激を感じるものばかり。

つまり
人工的な照明や刺激的な音楽、ゲーム、映像、インターネット情報、飲食物、パーティー・・・


こういった刺激を感じるもの、神経伝達物質ドーパミンの分泌を刺激する要素から離れる。

ドーパミン断食という用語を作ったのは
米国の心理学者キャメロン・セパー博士。


情報社会で脳の疲れをとるためのリセットには
必要です。


ドーパミン断食の方法は
人それぞれです。


数日コンピューターやスマホなどの電子機器を使わないというものや
暗い部屋で過ごす、
密閉した部屋で完全に感覚を休ませる、
自然の中で何もしないまま過ごす
など。


現代人は
かなりの時間をスマホやコンピューター、テレビに費やしています。

プライベートだけでなく、
仕事で使っている場合にはかなりの時間となっているはずです。

自然の中に入っていく時間が定期的に作れると
最も良いと思います。 

以上

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
皆さま
良いお年をお迎えくださいませ❤️

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  Chie Art「Love」



こんにちは😃
かれこれ20年近く
家で揚げ物をしなくなった
Dr.Rikaですが、
サンタさんから
とても貴重で希少な浜名湖のカキフライを
揚げるだけの状態にしてくださったものを
サンタさんがプレゼントしてくださったので
久しぶりに揚げました💕 


良質な米油を 最近購入したセラポットに入れて。 

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これは 重ね煮をした時の写真で 蓋の穴を塞ぐために 
大根を刺しています。 
 無水鍋としても使えるし 石焼き芋など空焚きもできるし 
ご飯も短時間で炊けるし 揚げ物もできちゃう。 

浅鍋とセットで作られている セラミックの鍋で 
宮古島のCosmic hempが練りこまれています。
 
 深い鍋なら 油も跳ねない 
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麻炭の効果として 酸化を止めるので 水も油も還元されて
美味しくなります。
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自画自賛ですが この数年の中で 最も美味しいカキフライです💕
牡蠣専門店で頂くよりも 美味しい❣️
良質な油と 素晴らしい調理器具で こんなにも味が変わるのですね。

浜名湖の牡蠣は 市場に出回らないそうです。
帆立のような甘みもあり とっても美味しゅうございました。
サンタさん 有り難うございます。

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こんにちは😃

皆様はクリスマスプレゼント🎁
どなたかに差し上げましたか?
頂きましたか?

今日は
私のお誕生日プレゼント🎁として
親友達におねだりして頂戴した
素晴らしい逸品をご紹介します。

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何で出来ていると思いますか?

純銀糸で作られているんです。

群馬の桐生が織物の街って
最近知りました。

伝統工芸を子孫に残したいのと
軽くて便利なのと
エコだなぁっておもって
選びました。

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ブランド名は ooo
トリプル オゥ

このネックレスの名前は
ディ エヌ エイ

✴️ さんち〜工芸と探訪〜

の記事を見て、
すっかり魅了されてしまいました。

かつて石田三成討伐に向かう徳川家康勢に旗作りを依頼され、
2300という途方も無い枚数を、
たったの1日で届けた「織物の町」がある。

「西の西陣、東の桐生」とも謳われる、群馬県桐生市。
品質の高い桐生の織物を江戸へ届けるために、
越後屋が初めての支店を高崎市に置いたという。

そんな桐生市で明治10年 (1877年) に創業し、
時代の変化に合わせて織物から刺繍へと業態を変えながら、
桐生でのものづくりに取り組んできたのが株式会社笠盛だ。

笠盛の外観

刺繍屋である笠盛が、次のステップとして立ち上げた
アクセサリーブランドが注目を集めている。

「000 (トリプル・オゥ) 」と名付けられたブランドのアイテムは、
刺繍糸だけで作られており、金属にはない質感とデザイン性が特徴だ。
軽くて金属アレルギーの人でも身につけられる。

刺繍の概念も、アクセサリーのイメージも覆す、
刺繍屋の新たな扉を開くものだった。

トリプル・オゥの商品

「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

自分たちから、変わっていかなければ

「織機をガチャンと動かすたびに、万の金が儲かる」
と言われた「ガチャマン景気」が、戦後の織物業界に訪れた。

当時、機屋だった笠盛は『笠盛献上』という連続的に流れる
模様の帯を生み出し、それが「手頃な値段でおしゃれができる」
と人々のあいだでヒットした。
桐生における織物の出荷額の3割を、笠盛グループが占めるほどだったという。

ところが1957年 (昭和32年) 頃から「鍋底景気」と呼ばれる不景気に。
代表取締役会長の笠原 康利さんは、こう語る。

「生き残るために何か他のことをやらなくちゃって、
やり始めたのが刺繍だったんです」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

まずは靴下などのワンポイントの刺繍から始めた笠盛。
機屋の頃からの縁もあり、和装の刺繍なども手掛けるようになった。

1990年代になり、多くのブランドの生産拠点が海外へ移る流れに乗って、
2001年にはインドネシアに生産拠点を設ける。
しかし4年後、今度は日本のものづくりを海外へ、という思いが強くなり、
拠点を桐生へと戻した。

小さな点がひろがる町、桐生と出会ったデザイナー

そんな笠盛に2005年、一人のデザイナーが入社する。
のちにトリプル・オゥを立ち上げる片倉 洋一さん。
2004年までヨーロッパで活動し、テキスタイルや刺繍のデザインに
携わってきたデザイナーだ。

片倉さんが桐生を知ったのは、
テキスタイル・デザイナーの新井淳一さんを訪ねてきたとき。
さまざまな染屋さんやプリーツ屋さん、繊維工業試験所などの施設に
足を運んでいくなかで「桐生っておもしろい」と思うようになったそうだ。

デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

「例えば毛織物産地として有名な愛知県の尾州 (びしゅう) などに比べて、
桐生は企業の規模がすごく小さいんです。
染めだけでも『絹はここ、綿はこっち』と染屋さんが分かれていたりして、
ひとつの会社ですべて作るのではなく、全部が分業制になっている。
もともと着物で栄えた町だからなんでしょうね。

そういう小さな点と点が新しいつながりを持つことで、
新しいものづくりが生まれるのではないか、と感じていましたね」

新たな戦力を迎え入れ、よりパワーアップした笠盛が向かったのは、
パリだった。

「生地のいらない刺繍」は、世界で認められるか

2007年、パリ。

笠盛はMod’Amont(モーダモン)と呼ばれる
テキスタイルの展示会に出展していた。

展示したのは「笠盛レース」と名付けた服飾パーツ。
すでに出来上がっている洋服などに後付けできる装飾品だ。

笠盛レース

本社併設のショップの壁に飾られている、さまざまな種類の「笠盛レース」

「通常の刺繍の仕事では、必要な生地をアパレルブランドから
お預かりして、刺繍を施してお返しします。
でも海外に売り込みたいと思ったときに、
それだと物理的な壁が高いと感じていました」

そこで生み出されたのが「生地に刺繍をしない刺繍」だ。
水溶性の生地に刺繍をしてお湯に溶かすことで刺繍のみが残り、
装飾品として付けられる刺繍を生み出した。

「笠盛レース」で特に大切にしたのが手作り感。
まるで手で編み込んでいるような質感の刺繍は、
機械と職人の手で作る笠盛が得意とするものだった。

笠盛レース

何百という会社が出展したなかでも、
笠盛レースのような商品は他になく、注目を集めた。
展示会で行われたコンテストでは、ユニークな製品に贈られる
VIPプロダクトを受賞。

「この手法をもっと極めていけば、
世界的に受け入れられる可能性があるのかな、
と希望が持てた瞬間でしたね」

あとは、自分たちが得意とするものを、何に活かせるか。
この模索が、のちのアクセサリーブランド立ち上げに繋がっていく。

糸で作る、自分たちらしいアクセサリー

「笠盛レース」の技術を活用し、ボタン、レース、リボンなどの
さまざまな形で活かし方を模索するなかで、転機が訪れたのは2009年。

試しにネックレスを作ってみると、国内のアパレルブランドから
「これを、このまま仕入れたい」と連絡が入った。

アクセサリーとして存在感がありながら、糸という素材の強みを活かした
軽さや手触りのよさ。金属アレルギーの人でも心地良くつけられる
というのも魅力だった。

「糸の強みが活かせる、自分たちらしいアイテムが作れるかもしれない」

長年培ってきた刺繍の技術、厳選した素材、今までにないデザイン。
この3つを組み合わせ、ゼロから新しい価値を生み出そうと名付けた
「000 (トリプル・オゥ) 」。

トリプル・オゥのロゴ

すでに世の中に溢れている「アクセサリー」に、
桐生から糸を使って新たな価値を生み出すブランドが誕生した。

トリプル・オゥから初めて発売された商品が「ディ・エヌ・エイ」だ。
直線と丸だけを組み合わせたシンプルな構造でありながら、
複雑にも見えるデザイン。

ディ・エヌ・エイ

ゴールド・シルバー・ブラックの三色展開。色違いで持っているお客様もいるそうだ

触ってみてようやく「これ、糸?」と思う光沢のある素材には、
純銀が入っているのだという。金属のような輝きを持ちながらも、
軽い上に折りたたむこともできる。

初めての商品「ディ・エヌ・エイ」

初めての商品「ディ・エヌ・エイ」

「ブランドのデビュー作だったので、『これが糸でできているんだ!』
っていう驚きを作りたかったんです。

つけ方も、首にかけたり、スカーフのように巻いたり、
半分に折ったり、さまざまです。
今までのアクセサリーにないものを追い求めたところから始まりました」

機屋から刺繍屋になり、アクセサリーブランドへ。
新しい挑戦へ前向きな印象の笠盛だが、トリプル・オゥを始めた当初、
一番苦労したのは社内から理解を得ることだったという。

「できない」という壁への不安

「長く刺繍に携わっている人たちに、
アクセサリーを作るんだと話しても『立体なんて、できないよね』と、
厳しい反応でした。これまで積み重ねてきた経験って、自信でもあり、
自分たちの今を支えるベースなんですよね。
トリプル・オゥでやろうとしていたのは、それをひっくり返そうと
いうことだったので」

片倉さんがひとりでアクセサリーを作り始めたところに、
右腕として新井 大樹さんが加わった。当時の様子を、新井さんは振り返る。

「繁忙期になると、クライアントの刺繍の仕事だけで工房は大忙しなんです。
機械も納期に向けてギリギリにスケジュールが組まれているなかで
『すいません、ちょっと夜の間だけ機械貸してください』みたいに
お願いをして」

営業課長の新井 大樹さん

営業課長の新井 大樹さん

片倉さんも、頷きながら言葉をつないだ。

「最初は不良率が高かったり、針が折れてしまったりして。
なかなか安定して量産することもできなくて、
利益を出していないお荷物部署、みたいな感じでしたね」

トリプル・オゥを作る機械

自分たちの刺繍の技術に、誇りと自信を持っていたからこそ、
まったく新しいものを作ることには勇気がいる、と新井さんは言う。

「普段とやることがあまりにも違いすぎて、
ギャップに戸惑っていたと思います。
クライアントからの要望は『もう少し、こうできないか』という、
今より少し上を目指すものが多いんですね。

でもトリプル・オゥで求められるのは、
少し上ではなくゼロからチャレンジすること。
ずっとやってきた刺繍に『できない』という壁が現れて、
不安だったんだろうなと今、振り返ると思いますね」

作り手と使い手のコミュニケーション

不安のなかでアクセサリーづくりに取り組んでいた
社内を動かしたのは、お客様の「欲しい」という声だった。
徐々に注文が増えてきたことで、作り手として誇らしい気持ちも
芽生えていったという。

「僕が何を言おうが関係なくて、
こんなにも世の中に欲しいと思ってくれる人がいるんだ
というのが一番強いですね。これ作って良かったねって。
最近は、社員が自社製品を購入することも増えてきました。

同時に、自分たちにできることも少しずつ増えてきて、
もともと持っていた『なんとかみんなでクリアしよう』
という団結力がまた強まっていくのを感じました」

本社併設の直営ショップをオープンしたり、
展示会に出展したり。お客様と直接、話す機会が増えると、
原動力はさらに増していった。

ショップ店内

会社の敷地内にあるショップは、第三金曜日と土曜日に営業

「『金属アレルギーだけど使えて嬉しい』
とか『軽くて着けているのを忘れて顔洗っちゃった』とか、
そういう感想をいただけるたびに新鮮だったし、嬉しいですよね」

伊勢丹新宿店のリニューアル時の企画展に
「ディ・エヌ・エイ」が選ばれたことを皮切りに、
ブランドとしても注目されるようになっていった。

現在では、日本全国のさまざまなお店で販売されている他、
ロンドンの国立美術館を運営するテート・ギャラリーで
取り扱われたり、他の企業とコラボレーションするなど、
新しい販路を広げている。

「地域の一番星」になることで恩返しする

現在、200種類ほどの商品があるトリプル・オゥ。
それは笠盛だけで作れるものではなく、
数え切れないほどの職人の手によって作られている。

「桐生にいる職人さんたちと、素材から新しいものを
作り出したりもしています。

例えばアクセサリーのために開発した『シルクリネン』
という素材は、フレンチリネンとシルクを合わせた
オリジナルの紡績糸を、桐生の染工場で染色しました。
紡績、染それぞれ、桐生の糸商さんにつないでもらって
完成した素材です。

組み立てて、形にするのは笠盛でも、それまでに見えていない
作り手の人たちがたくさんいるんですよね」

シルクリネンを持つ片倉さん

求める素材が見つからなければ、糸から試行錯誤して作ることもある

まさに片倉さんが桐生を訪れたときに抱いた思いのとおり、
小さな点と点が繋がって、この街で新しいものづくりが生まれている。その小さな点を維持していくための取り組みも、笠盛は見据えている。

「養蚕農家さんや撚糸屋さんと話していると、
どこも高齢で、後継ぎがいない問題があります。
僕たちにどんなに技術があっても、欲しいと言ってくれる
お客さんがいても、糸を作る人がいなくなったら、
もうこのアクセサリーは作れない。

一緒にものづくりしてる人たちも、きちんと経済的にも
成り立っていける環境づくりができたらいいなと考えています」

今、笠盛が目指しているのは「地域の一番星になること」だ。

「地域活性化っていろいろな方法があると思うんですけど、
僕たちがまず桐生の名を全国にPRできるような、
輝く存在になれたらと思っています。

みんなで一緒に何かをやることも大事だけど、
時には勢いよく突っ走ることも必要。
まずは笠盛が桐生の一番星メーカーになって、
地域に還元できるようになりたいですね」

ショップ店内

最後に今後について聞くと、会長が話してくれたのは
笠盛らしい答えだった。

「『伝統は革新の連続』という言葉があるように、
変わり続けることが笠盛の変わらないところです。
市場がどんどん変わっていくなかで、
変化していかなければ会社として生き残っていかれない。
でも、変わっていくなかでも桐生という地域と
お客さんを大事にすること。
これだけは、これからも変わらないですね」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

機屋、刺繍屋、アクセサリーブランドと
形を変えてきた笠盛だが、
根底にあるものは140年のあいだ、
ずっと変わっていないのかもしれない。

挑戦で殻を破って成長し続ける技術。
桐生の小さな点と点から生まれる素材。
使い手の生活に寄り添う新しいアイディア。
これらの組み合わせ次第で、
トリプル・オゥから生まれる商品の可能性は無限大だ。

後編では、実際にトリプル・オゥのアクセサリーが
どのように作られているのか、
技術とアイデアが結集する工房の様子をお伝えする。

<取材協力> 
株式会社 笠盛 
群馬県桐生市三吉町1丁目3番3号 
0277-44-3358
https://www.000-triple.com/ja/

文:ウィルソン麻菜 
写真:田村靜絵

以上  転載

ーーーーーーーーーーーーーーー

全てのご縁や技術
何が欠けても産み出されません。

真摯に丁寧に
一歩ずつ革新して進化する。

私も自らの魂を輝かせ
光を強め
共振共鳴、共同して
素晴らしい世界を紡ぎ出すべく
精進致します。


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こんにちは😃

今日はクリスマス🎄
皆様は、いかがお過ごしでしょうか?

インド🇮🇳 ネパール🇳🇵ルンルの旅
ブッダガヤ 大菩薩寺でのルンルの体験で
最終回を飾りたいと思います。

もう2ヶ月半も前のことで
感動が少し薄れてきていますが
このクリスマスの波動で
追体験ができそうな予感です。

ブッダガヤについての説明と写真は

西遊旅行さんより引用させて頂きます。
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ブッダガヤには世界遺産でもあり、
すべての全仏教徒の重要な場所である
マハーボディ寺院(大菩薩寺)があります。
アショーカ王が紀元前3世紀に建てた寺院が起源といわれてます。いつでも各国から来た仏教徒の熱心な祈りは絶えることがありません。各国様々お祈りの方法ですが、自然ととけこんでいる姿が印象的です。

以上

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

この寺院
デジカメはお金を払えば
持ち込み可能ですが
スマホは、セキュリティーチェックで
持ち込み不可なので写真がありません。

お釈迦様が悟りを開いた
菩提樹の樹があり
とても清らかながら
圧倒的な強さのエネルギーに
満ちていました。

そして
この旅  最後のルンル

お釈迦様を師匠と仰ぎ
自らの波動をお釈迦様以上に高めることを
日々研鑽されていらっしゃる植原先生。

移動中の飛行機もバスの中でも
常に一人一人に向けて
氣を送ってサポートして下さいました。

聖地での最後のルンル
様々な国の信者さんたちが
それぞれの言葉で読経し
音を奏でて
それが見事に融合しています。

同行者の方が撮影してくださったもの。
 ルンル開始前に、私のそばをわんこが離れない。

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ずっと隣で伏せて
リラックスしていました。

そして
ルンルが始まったら

ブッダガヤの鳥達が
全員集結したかのようで
ピーチク パーチク大合唱❣️

犬達もワラワラと集まり
日頃から雀が寄ってくる
まこっちゃんのそばにペッタリ。

いくつもの楽器
言語 言霊
風と光と歌声が
見事なハーモニーを奏でて
至福以外の何物でもない
まさに ここが天国

南ではなく
あの世でなく
いま ここ  皆身(みなみ)が天国❣️

参加者全員が
この上なく至福に包まれ
このために集まって
ハーモニーを奏でたのだなぁと
喜び合いました。

宗教関係なく
極楽浄土 天国は
自らの中に
自我(エゴ)を脱ぎ捨て
大いなるひとつに
溶け込むことですね。

本当に素晴らしい体験を
共に旅仲間達と
ご一緒できましたこと
有り難うございます。

✴️本当のクリスマスの過ごし方

も今一度 お読みくださいませ💕

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こんにちは😃

インド🇮🇳 ネパール🇳🇵の旅もあとわずか。 
いよいよ明日で最終回です。

お釈迦様が苦行を長年続けて
悟りを開くのに、苦行は必要無いと悟って
骨と皮のように痩せこけた姿で
前覚醒山を降りて、歩いた村が
スジャータ村。

まさにお釈迦様と同じ道を
歩みました。

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現代は、綺麗に整った道。

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何処からともなく
子供達が現れて
付き纏ってきます。

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綺麗なレンガの道

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 御神木のような大きなガジュマルの下には
何千年前からある磐座でしょうか?
お釈迦様も、ここで休まれたかも?

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振り返ると

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 前覚醒山

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歩いて川を渡ります。


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振り向けば
前覚醒山


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渡った先の村



 
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 この丸いもの
何だかお分かりになりますか?

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レンガの壁の上に
ペタペタ貼り付ける
茶色くて丸いもの。

神なる牛の糞です。
これを円盤状にして
壁につけて乾燥させて
燃料にします。

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さらに歩くと
乳粥を振る舞うために
ずっとお釈迦様を待ち続けていた
スジャータさんのいた場所のSTUPA

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乳粥スジャータは
ほんのり甘く
とても美味しゅうございました。

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